【横須賀散策レポート】江戸幕府の慧眼と有能さに感銘~開国前夜の先人たちに感謝を込めて~
初夏の爽やかな日、日本屈指の軍港である横須賀の港をめぐるクルージングに参加してきた。品川駅から京急本線の快速特急で一時間弱で横須賀中央駅につく。東口を降りるとすぐアーケードの商店街があり、八百屋や豆腐屋や飲食店や衣料品店やドラッグストアなどがある。野菜がとても安く心引かれた。
アーケードを抜けると、ベトナム戦争時に酒と女を求めたアメリカ兵で賑わった『どぶ板通り』がある。
恐々除覗いてみた。
あれから半世紀。怪しげな空間ではなくなっていた。人通りもなく、自転車1台自動車1台見かけた方は五人という静まりかえり、あちらこちらに空き地があり、店舗のではなく住居になっているところあった。
この通りと平行して大通りがあり、そこにはアメリカ人相手の不動産が数件あった。米軍の入り口(パスポートが必要)も大通りに面しており、通行するアメリカ軍の人びとも度々見かけた。船から降りるとマイホームがほしいとのニーズで外人用の不動産屋があるということだった。(写真は、不動産屋、ベース入り口、不動産屋、両替所)
米軍の先には横須賀港があり、45分間のクルージングも楽しめる。【YOKOSUKA軍港めぐり】は大人1400円で45分間はとても楽しいトークショー付きで、日々変わる船について説明が聞ける。
風も穏やかな五月晴れという恵まれたタイミングで、『いずも』『ロナルドレーガン』を観ることができ幸運であった。『いずも』は前日に入港し、その日の夕方に出港したので一期一会であった。潜水艦、油の補給、イベントがあるのか数多の国旗が飾られた『ロナルドレーガン』など見処満載であった。
終始目が離せず、島をくり貫いて石油を備蓄した吾妻島、二ヵ所の軍港の往復を容易にするために半島を切り開いて造られた水路(水路をクルージングで通過)。江戸から明治への移り変わりの時代、手作業で行われた土木技術には感心するばかりであった。
老朽化した水道管の補修すら税金を出し惜しみ、水道民営化が進行する昨今。高速道路の補修や新規を含めた道路整備のための建設国債を拒否して過去の遺産を食い潰す『失われた20年』を継続中の今日。
横須賀港の横にはヴェルニー公園があり、薔薇が咲きみだれていた。そこには技師ヴェルニー氏と江戸幕府の小栗上野介忠順氏の像があり、横須賀港を見守っていた。
幕末の江戸幕府は、ペリー来航に驚いて右往左往していたイメージがあるかもしれない。しかし、その12年後には幕末の勘定奉行だった小栗忠順の提言によりフランスからヴェルニー氏を招いて横須賀港と横須賀造船所が造られたのだ。江戸と横須賀の距離を徒歩の時代で考えれば、どれ程の英断と労力と実行力だったのか、感服するしかない。
小栗忠順らの思いは、明治時代に移った1871年に完成され、日清日露戦争の勝利にも貢献し、太平洋戦争敗戦まで日本軍も使い続けられた。現在は、アメリカ軍の基地として自衛隊は間借り状態になっているが、今も現役の港であり、小栗らの偉業であることを感じた。
江戸時代の幕末のリーダーは愚かでも無能でもなく、土木技術を駆使して国民の命と財産を国家を守ろうとした。最後は明治政府の官軍に罪もなく斬首された小栗忠順に今の日本はどう映っているのだろうか。
〇おまけ〇
帰りに横須賀中央駅の居酒屋さんに立ち寄ってみました。手作りのお惣菜がよかったです。