【靖国神社】政治利用、愛国心やアンチ利用される悲劇の神社
8月15日 「日本の声―英霊に感謝する集い」放鳩式 が靖国神社で行われる。道路を挟んである北の丸公園内にある武道館でも政府主催の追悼式典が行われる今日は終戦の日であり、日本国民の一人として戦争について思いをはせる日でもあり、お盆でもあり祖先を思いお墓参りをする方々も多い時期だろう。
本日の靖国神社は、7月に行われる「みたままつり」と並んで多くの方々の参拝がする日でもあるが、私も家族も靖国神社に足を運ぶことはない日である。私はアンチ靖国神社ではなく、多くの戦死者への慰霊の気持ちを持ち子供達とも一人でも足を運んでいる。
なぜ、私が「みたままつり」や8月15日に靖国神社を避けるのか。
①ご遺族を優先したいから。
靖国神社は国家神道の神社としてスタートし江戸幕府と戦った人(薩長土肥の病死の人まで祭られているが、西南戦争の西郷隆盛や佐賀の乱の江藤新平は祭られていない)から先の大戦の戦死者を祭っている神社である。我が家は薩長土肥の出身はおらず、関東や東北・北陸の出身であれば戊辰戦争の際は賊軍サイドであり夫側も私側も祖先は祭られようがない。先の大戦で、私の祖父母は徴用にて大学生として通訳をしたり女学生として勤労奉仕が、軍人として出立することはなかった。曾祖父も戦争に行く年齢でもなく軍人でもなかったので戦死していない。
無関係だと好き勝手言うな、とお叱りを受けるかも知れない。私の祖先も大空襲からたまたま運よく逃げ延びただけで、自宅は跡形もなく焼け野原になった。国家のために戦争に駆り出され、お亡くなりになった方々への慰霊の気持ちや感謝の念は日本人として当然持っている。ゆえに、ご高齢になったご遺族が祖先や身内を思って参拝するときに、私は遠慮すべきだと思い足を運ばないのだ。今年はたまたま曇りと雨だが、真夏の暑いシーズンにご高齢の方々が集うには厳しい時期である。混雑はそれに拍車をかけてしまうからだ。
また、遠方から参拝でお盆期間にしか休みが確保しにくい方々もいらっしゃるだろう。ご遺族は東京ならびに周辺のみとは限らず、全国にいらしゃるからだ。いつでも参拝できる東京周辺の一般人は遠方のご遺族を優先してほしいと思う。
②屋台とそのゴミの散乱に怒りを感じるから。
先の大戦では、戦闘でお亡くなりになった方々ばかりではない。なれない環境の他国にて、餓死や病死のほうが多かった戦地もあるのだ。飲み水にまで苦労し、喉の渇きに苦しんだ多くの若者を思う時、参拝した神社の屋台で飲み食いをし、ゴミをまき散らす。みたままつりの美しい光の陰にはごみが散乱。これは慰霊ではなく、苦しんでお亡くなりになった方々へ大変失礼な行動だと思う。脱水にならないための水分補給は必要だが、それ以外の飲食は「みたままつり」の境内で行うべきではないと私は考えている。
靖国神社への思いは、立場や考えによって様々だと思う。しかし、お亡くなりになった方々を祭る施設にて、賛成や反対をわめいて死者ならびにご遺族に嫌な思いをさせるのは間違っているのではないだろうか。靖国神社だけではなく、広島の原爆ドーム周辺などもそうだ。慰霊の場所は、大騒ぎをし、意見をぶちまける場所ではない。
ましてや、タカ派と称して選挙対策のために政治利用することも、平和主義と言って過去の戦争を悪し様の罵ることもすべきではない。歴史は分析し、現在と未来に活かすことが必要であり、遡及して善悪を下すことは無意味かつすべきことではないのだ。
一般国民も、自己満足のためのパフォーマンスにすることも、反対の気持ちでバカ騒ぎすることも、ともに恥とし自己主張の方法を考えなおしてほしい。靖国神社ならびに広島原爆ドームや浦上天主堂などの施設が本来の目的のためにあり、純粋に慰霊の気持ちで訪れる人々が集う場であってほしいと願う。