「No!」と言われた石原慎太郎・・・私は騙された!
石原慎太郎元都知事は2000年から2013年まで13年間も都政のトップに君臨してきた。築地の移転を決めたのも彼である。その後の知事は二人続けて短命で、ともに関わる暇もなく追い出された。TOPとは責任をとるための役割があり、知らずとも任命責任がある。
「私は騙された。手を抜いて、していない仕事をしたことにして予算措置をした。都の役員は腐敗している。」とテレビにて暴言をはいた。無様な元都知事であり無責任だ。
築地は銀座から歩いて移動できる場所であり、土地の資産価値も高い。銀座周辺のサラリーマンやOLも築地の場外市場を利用するそうで、身近な市場だろう。
この築地市場を追い出した後は、高層ビルが建つのである。市場関係者の8割が反対でも強硬に進める理由は狭くて古いからだけではない。移転について都民へ十分な説明もなく、市場関係者の8割が反対する中の移転は、外資も含め、利権にしか思えない。
そもそも古いから移転が必須、ということはおかしい。100年以上続く老舗旅館は移転はせずとも改修工事を行い営業し続けているではないか。築地市場も移転せずとも改修工事で対応できたのではないだろうか、と私には思えてならない。
石原慎太郎は極右とか、「Noと言える日本」という書籍もありアメリカにも発言できる保守というイメージを持つ人も多いだろう。これはただの作られたイメージである。本質は税金に寄生し、人間的にも下品なクズである。
例えば、築地市場で火事がおこったとき、石原慎太郎は移転しないからだと揶揄したそうだ。日本は木と紙でできた建物が多く、冗談でも口にすべきことではない。下品極まりない。
それだけではなく、日本中が葬式ムードに包まれた東日本大震災の際にも、天罰と発言したのだ。被災者のどこに落ち度があったのか。避難先で濁流が襲い、幼児を抱きしめるのが精一杯で横の老人グループまで助けられなかったと涙する保育園や幼稚園の先生たち。
数年がたつもバスでご一緒した老婦人は、このように話した。「身内の話だが、兄弟と逃げて手を差し伸べるも兄を津波にさらわれ口が数年間きけなくなった。最近彼がようやく口を開いた。」と。5年超過でこの傷跡だ。
皆様もご承知のように遺骨すら手にできない被災児童の親。彼は天罰をうけたというのか。親子兄弟は勿論、身近な人、たまたま避難所で恐怖を分かち合った人、彼らを救えなった後悔も天罰なのであろうか。日本国民が暗闇に覆われたような感覚は、国民への天罰なのであろうか。石原慎太郎は人間のクズである。
「No!石原慎太郎」と都民も国民もいう。石原慎太郎は火事や災害を揶揄する人間のクズだ。利権があれば、ハエの如く群がる薄汚い老人だ。わが子のみ異様に高く評価し、四男の売れない絵画を東京都がお買い上げするために、美術館も設立した。館長は四男の友人であり、副館長はその妻かつ慎太郎の孫の習い事の教師である。
その無駄を口にした猪瀬都知事は、石原慎太郎が都税で高級料亭にて飲食をともにした病院からの借金で賄賂疑惑をもたれ辞職へ追い込まれた。後継指名をしながらも一言も擁護しなかっただけではない、と私は思う。
騙されたのは、石原慎太郎ではなく、都民である。無責任なTOPにうんざりしてしまう。息子のために都税を使う石原慎太郎一家は寄生虫一家だ。東京は確かに財源が豊かだが、人口も多く防災やインフラの修理など多くのお金を必要としている。都民は石原慎太郎一族を養う理由は何一つなく、今こそ彼の業績を精査すべきであろう。都合が悪くなれば怒鳴る、姑息な手法はもう通じない。
マスメディアは石原慎太郎を持ち上げて神格化することはやめて欲しい。何よりも都民や国民の台所である築地市場の移転問題の情報を国民に報道してほしい。築地ブランドを汚染ブランドにしてはならない。