【働き方改革】生活ごみをみる余裕もない生き方は御免だ
毎日生活するとでるゴミ。
ゴミは私たちの生活の証でもあり、多くの事を教えてくれる。
ご近所トラブルもゴミが多くの割合を占めるだろう。分別も細かく最大47分類だそうだ。自治体によっては家庭ごみも有料であり、転居によりゴミ出しルールの違いに戸惑う方も多いだろう。
ゴミと働き方になんの関係があるのだろうという方もいらっしゃるだろう。ゴミは痴呆のサインでもある事をご存じだろうか。マンションで管理人さん任せが多い共働き世帯にはピンとこないかも知れないが、自分達でゴミ集積所を管理する世帯では当たり前の話である。
「〇〇さんはいつもゴミの量が多いわ。ご家族多いから仕方ないわね。」
「△△さんは分別が雑。あそこのご家庭は・・・奥さん、外人で日本語通じないふりして困ってるのよ。」
「あのアパート人、いつも夜中に出すのよね。夜のお勤めだから。」
などは日常会話である。暇なオバサンではない。家庭の状況をしっかり把握しているのだ。これらは個人では対応せず行政に連絡する案件もあるのだが、問題はそこではない。
分別ごみの曜日を間違える回数が増えたり、分別ができなくなってくる高齢者がいることに気が付くのだ。老人性痴ほう症である。痴呆の発見の一つに日時がはっきりしなくなるものがある。曜日も分からなくなってしまうのだ。認識する能力も衰え、分別しないのではなくできなくなるのだ。これに手を差し伸べるのが地域であり、手書きの紙をそえて分別のお手伝いをしたり、ご家族に連絡をしたりする。
これらはお金にはならない。安倍晋三や竹中平蔵・大田弘子らグローバリストからは見向きもされないが、ご近所力である。
子供は社会で育てる。≠保育園と学童保育ではない。
先日、我が子は部屋の掃除をし、分別をせずゴミ出しをしてしまった。悪いことに私が午後外出していた週末、雨の中であった。ゴミは分別チェックをして袋にまとめて私が出していた。子供は曜日を認識しておらず、カラスよけも意識していなかった。普段は親に渡すだけだったのだから当たり前だ。知らずに雨が上がった翌朝、ご近所はごみの散乱でひどいことに・・・カラスと雨による方々に散乱したゴミ、紙類がアスファルトに張り付いた紙。ひどいと思ってゴミを見たら我が子だった。すでにほとんど掃除をして下さり、怒りを抑えつつご指摘くださるご近所の皆様に謝った。私が知らず子供がやったことを周囲で認識したあと、「子供を怒っちゃダメよ。いい機会だから、ゴミ出しの曜日と時間帯を教えてあげたらいいのよ。分別もきちんとさせたらいいのだから。」とおっしゃって下さった。この一言がなければ、あまりの惨状に私は娘を怒鳴りつけていただろう。社会が子供を育てるというのは働く親の代行を意味するのではない。皆で社会ルールを教えていく、子育てをアドバイスや親の心も支えていく、ということを痛感した。
働き改革という名のもと、母親を家庭や地域から引きはがさないでほしい。ゴミから痴呆に気が付くのも、子育てを支えてくれるのもお金ではなく地元の主婦や引退世代なのだ。
働くことは否定しないが、お金になることだけが働きではない。フルワーク共働きの家庭はよそのゴミや子供に無関心な傾向が強い。回収されなかったゴミもそのまま見向きもしない。収集車がさったあとの掃除をすることもない。夏休みなど長期休暇は近所の子供を7:00-18:00すぎまで連日遊ばせていたが、母親も週に2日程度お礼を言って迎えにきてくれたが、父親は私をみても挨拶すらしなかった。我が家で昼ご飯、夕飯、お風呂を済ませ、洗濯もしていたことをご存じないのだろう。共働きのもと子供や周囲にしわ寄せがきているが、1円にもならず私は働かない専業主婦と安倍政権では扱われる。
働き改革?Wワークしないと生活できない。主婦や年寄りも金稼げ?家事育児、それを支える地域を否定するグローバリズム並びに新自由主義に私は反対だ。
写真:SUUMOジャーナルより