【マネーゲーマーvs.米騒動の主婦】彼女たちの目から感じたこと
米騒動というと、何を想像するだろうか。戦争、戦争により値上がりを見込んだ米への投機(投資ではなくマネーゲームの場合は投機という。)による、米の価格高騰。それに対抗した漁村の主婦たちの米一揆。
ある男性に、米騒動のイメージを聞いてみた。米を積んだ船の写真を思い出すと話した。そばにいた女性に聞くと全く違う答えが返ってきた。米騒動の時の写真の女性の目が印象に残っているとの答えだった。
写真の女性の目には様々な感情があふれていた。怒りとも哀しみとも、日本への絶望ともとれる、悲しい目だった。それが印象に残っているというのだ。米びつにお米がない、なく子供に食べさせるお米がない、売っていても高値で到底買えない。母親としてこれほどつらいことはないであろう。
お米は食糧である。保存できるとしても限度があり、食べる量にも限りがある。不作もあるだろうが飢饉でもない限り、米びつが空になることは通常考えられない。しかし、実際にあったのだ。それに母親は立ち上がったのだ。
なぜ、米びつが空になったのか。飢饉ではなく、戦争による米価高騰を見越した投機である。食糧は人間が生きるうえで欠かせない。それをマネーゲームに利用したり、お金でしか換算しないのは罰当たりであり、許されることではない。
今と似ている。米騒動が起きた大正時代のマネーゲームと安倍政権における農業の経営効率化はそっくりではないか。食糧はお金の問題ではなく命の問題であり、投機や利益で語るものではないのだ。はるか彼方に思えた大正時代。しかし、一部のマネーゲーマーにより食糧が操られているのは同じだった。農業は経営効率ではない。生きる糧なのだ。経営利益や効率化という名のもと、人間の生きる糧をお金に置き換える愚策はやめるべきだ。安倍政権の農協ぶっこわし計画は女一揆を誘発するであろう。それを分からない、安倍政権、小泉進次郎は、寺内内閣と同じ運命を辿ることであろう。
最新動画:https://youtu.be/nXcvgZoYuM8 平成29年1月25日横浜市役所凸横浜に賭博場はいらない