輝く女性の押し付け=男性の給与DOWN=移民推進
輝く女性とは、なんとも失礼な言いように思う。輝こうが輝くまいが、そもそも余計なお世話である。そして、女性だけに輝きを押し付ける。これこそ男女差別である。
日本は古来より、天照大神に始まり女性の地位は高かった。「おかみさん」という言葉は神と同じ発音であり、神話の世界にとどまらず家庭でも大事にされてきた証でもある。11月の七五三、お正月の晴れ着、ひな祭りなど女児の晴れ舞台やお祝いも男児と同様に行われてきた。
日本の女性の地位が世界で低いという人々もいる。しかし、その基準項目自体が日本女性の価値観と異なったり、前述のような項目が不足していたりするのではないだろうか。多様化、多文化な国際社会において、一部の価値観や文化を押し付けるのはあまりにも横暴である。肝心の日本女性の満足度は無視して、意味不明な資料をもって議論するのは日本女性に対する過干渉であり、到底受け入れられない。
そして、輝く女性=外貨収入を得るべく働く女性。ひどい話である。保育園や幼稚園で収入を得ながら育児保育をすれば輝いている。自宅でわが子の育児保育は輝いていない。金銭により、女性は輝くとか輝いていないということだろうか。
推進する経団連や政府はどれだけ銭ゲバなのか。女性を家庭から引きずりだして子供を取り上げる悪魔のように私には見える。
要するに、日本男性の給料を下げるために労働者を増やさなくてはいけない。=女性の社会進出の強制=外国人労働者の受け入れ、である。
古来より女性も働いてきた。家庭であれ、職場であれ、兼務であれ個人の自由だ。生め、働け、介護もしろ。女性はどれだけ要求されるのか。そもそも要求される覚えはない。そして、女性がどう輝こうが、どこで輝こうが、専業主婦を選択しようが、経団連や政府に言われる筋合いはない。勿論、社会進出をする女性も大歓迎で、才覚を発揮する姿にはあこがれる。これは個人の選択であり干渉や押し付けこそが人権侵害である。ご都合主義により、女性の人権といい女性に干渉することはやめて欲しい。
七夕の短冊に娘が書いた文字をみた。「好きな人と結婚できますように」この自然な気持ちを否定するような現在は異常であり、女性にとって息苦しい。専業主婦で夫を支えたい、子供を沢山産みたい、かわいいお嫁さんになりたい。このような台詞を言い出しにくい風潮に私は反対する。