街に歴史あり~スクラップ&ビルドを繰り返す日本は美しいか?記憶喪失になる日本人~
秋は学校バザーの季節がある。PTAの役員をしているママが嘆いていた。
「紙袋が集まらないんです。レジ袋は集まるけど」
紙袋が集まらない?
そんな折り、各地のデパートの閉鎖のニュースがあった。
かつて家庭にはデパートの紙袋が沢山あったものだ。
買い物をし、品物をデパートの紙袋にいれてくれるので自然とたまっていた。
大きさは様々だから、人に何かを渡す時も大変重宝する紙袋。
それが家庭になくなったということは、デパートに行かなくなったということ。
若い世代はフル、パートと働き、優雅にデパートで買い物をする時間も経済的余裕もなくなった。
閉鎖されたデパートはどこもその地域の一等地にあり、建物自体が巨大ゆえ、閉鎖後は街全体が暗くなるし、後に入る店舗は見つけにくい。
そごうデパートを見てみよう。
バブル期は[地域一番の巨艦主義]を掲げ全国に50店舗以上展開をした。
そのうちの一つ、千葉県のそごうデパート木更津店を例にとろう。
南房総唯一のデパートとし1988年に華々しく開店。
しかしあっという間に売り上げ激減し2000年に閉店
近年1階は100キンだったが、今やそれも撤退し、ベンチがあるのみ。横にコンビニ。
2階はブティック2店舗が。
上階には市役所の分署がある。
駅の玄関先に巨大な廃虚があると、街全体が廃虚にみえてしまう。
近くにある日本最大のアウトレットモールの賑いと対称的すぎる駅前の光景だ
コンビニも全国で大量に出店し、最近はあちこちで閉店している。
少子高齢化は50年前から予測されていたにもかかわらず、イケイケドンドンを突っ走り、気づけば倒産、閉店三昧。
実家に帰り、若い頃通ったラーメン屋や居酒屋に行くと
「おかえり、いつ来たの?」とママやマスターに言われたらホッとする。
と同時に長年頑張ってきてお疲れ様と言いたくなる。
スクラップアンドビルドでは人の人生の記憶が捨てられてしまう。
なぜ京都奈良や古いものに憧れながら、身近なものを作っては壊しの連続なんだろう。
東京五輪も、1964年の記憶を捨て施設をぶち壊し新しく作りながら、暑いから札幌への話もある。
計画性の無さ、育てることをなくした日本は目先だけに浮わつく、根なし草の漂流民族になるのではないだろうか。
写真:2019年現在「アクア木更津」